昨日の子どもがいない人が年取ってからの入院、手術の話1では
主に手続き、説明、同意書、など現実的な事柄の心配を書きましたが
今日はやはり心の支えというか、精神的な面での心配、、、
母が手術後目が覚めるまで待っていまいた。
まだもうろうとはしているけれど、母が目覚めて第一声「痛い、、、」と、、、。
でも手術後に目が覚めて私はほっと一安心。
その後、時間があれば病院🏥に見舞いに行って(電車とバスで1時間半~2時間くらい)
帰ってきました。
清算等も手伝ったり、退院後の注意等一緒に聞きました。
今思うと、
手術した身の状況で子どもがよく見舞いに来るのは、親の方からしても何物にも代えがたい安心ではないかと
(子どもの私が言うのもなんだけれど😅)。。。
今まで心配ばかりかけたから、少しは親孝行できてれば、、、と願います😀が
それはともかく、
お見舞いに行って話しながら、
「自分が母の年で手術とかになったら(夫より長生きだったらですね)
お見舞い誰も来ないかもな」
「もしかしたら、誰も来ないかも」
「手術の時も入退院も一人ぼっちということもあるのかな」
と想像してしまい、その時の心細い気持ちを体感し
(多分この言葉が一番合ってると思いますが)寂寥感におそわれました。
子どもがいるから、心配して見舞いに来る、物心両面で支えに必ずなってくれるとは
限らないとは思います。でもやはり子どもがいないと、最初からそれがないと
覚悟しておかなくてはいけない、、、か。
入院、手術、手続きなどの実際的な部分は何かのサポートがあるとしても
一番は近い身内の「心配して傍にいてくれる」心強い存在の代わりばかりは、、、。😰
まだシニアではないので、シニアまでの時間があるから寂寥感が想像されるところがあるかも。
シニアで身体のあちこちが痛くなったりしたら、
そんな想像をする前にとにかく早く治療してくれ~😩で
いっぱいいっぱいかも。
今から心配しすぎかなあ。
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