明日のZoomミーティング、延期です(私の準備不足、他に参加規希望者いないため)。
申し込んでくださったのに〇さん、すみませんでしたm(__)m
ーーー
お茶会から始めた時、子どもがいない人が周りにいないから
とにかく喋りたいと思った、気持ちを共有できる人と。
そしてノンファンの情報が少ないからノンファンどうしで情報交換がしたいと思った。
そこから交流会や書籍出版など今から思うと稚拙な道のり(無駄が莫大)で今に至り
コロナ禍のため、現在交流会などお休み。
ひととおり、私が人に会って話すこと、ノンファンどうしをつなげることが
ちょっとできた。ここで私自身も一息ついた。
あとは交流会の回数増加やセミナーなどを増やす?という考えになるのは当然だった。
しかし
ノンファンの声を聞き活動をしていくうちに
子どもがいない人のことは
個人と社会の両方からとらえることが必要だと認識し始めていた。
・個人(ノンファンの人生に対する個々人の心ー選択でも非選択ノンファンでも)
・社会(社会においてノンファンがどう捉えられているか)
なぜなら、個人が子どもがいない人生についての悩みや傷を癒したりしたとしても
社会がノンファンのことを認識し、ノンファンの声を知らないことには
この先いつも何かの「トリガー」(きっかけとなる出来事や言葉)で
ノンファン個人の傷や悩みがまた再燃してしまうからだ。
そればかりか、子どもがいないノンファンが心理的な攻撃の対象にもなるからだ。
(例:某大臣の少子化に絡んで女性が子どもを産まなくなったからーという発言で
傷つくのは子どもがいない女性。女性だけになぜにターゲット?)
お茶会を始めた当時は見つからずやむなく始めた、
子どもがいない女性(不妊治療未経験者や選択ノンファンの人も含めて)が集う場(オン、オフ含め)は
SNSの発展も相まって最近増えてきた。
ココの領域は私がやらなくても多分今後増えていくと思う。
当初のゼロだった「子どもがいない人の交流と情報交換」の目的は達せられたし
コロナ禍で休業余儀なくだし
活動の意義ももう何か見えないまま消滅でもいいかなとも思っていた。
(エスリンクスのことを知ってほしいしブログも見てほしいから
敢えて「読まれそうな記事」(想像つくと思います)を書くこともありました。
でもそれは今していないし、活動もしていないし
ブログ読者は今はぐーんと減っています。)
しかし
「社会」はやはり気になっている。
そして、「社会」とは別に
ノンファンが交流し情報交換して個々が満足、のその次の段階。
個々からノンファンが集まり作業、何かを創ることー協同。
ーーー
当事者ではないから言葉の使い方に間違いがあったらごめんなさいですが
ADHDという言葉、私は10年前知らなかった。でもおそらく当事者やその親御さんは悩んでいたはず。
社会にその存在を知ってもらうことで理解を周りが深め
当事者が社会で生きやすくなるということあったり
LGBT、存在や声を知ってもらうことで不充分でも前よりは
社会で理解が進んでいるはず。
そうした例を見てきてマイノリティは社会への発信が必要だと感じます。
個々の満足で全くOK。最初私もそうだった。
でも、その後の「何か」をー
今は具体的な形は分からないけれど
それを考えています。
協同の部分はいくつかアイデアはあるのですが
1人だと近視眼的になるのでいろんな力が欲しい。
1人ではできない。
そんな「何か」。考えてみたくないですか。
ノンファンだけではなく
究極的には
”ステレオタイプで判断したり、されることがない
多様性に寛容な
個性を発揮して皆が生きやすい社会に
自分が生きているうちくらいになって欲しい”
です。
そんな社会が来るのか?って
この数ヶ月に(外的要因だとしても)社会の激変を見れば
夢ではないと思います。