先週、東京ドームにプロ野球選手OBの対抗戦の試合に行ってきました。
スポーツニュースで開催されたのを知る度に行きたいなあと思っていたけど
いつやるか知らず、、、今年たまたまチケット情報を見つけられて、暑い中出かけました。
(懐かしの選手ばかりで、20代30代だったらそこまで盛り上がらないかもなぁ、、、。
1985年阪神の優勝の立役者バースが出れば騒ぐし、懐かし選手に盛り上がるショーワな私汗)
それで、元ヤクルトの古田さんも出場していて
この試合でも活躍していたんだけれど、
最初出てきて、「〇番、バッター古田」とアナウンスされると
ああ、古田さん、
すぐに
ノンファン
という思考。
話変わるけれど、自分と共通項のあるもので
親近感持って、それで人は覚えているということ少なくないと思う。
たとえば、〇〇県(そこまで出身者多くない県)出身の有名人で同郷だったら
その人が出てくると〇〇県の〇〇さんとセットで考えるし、
たまたま同じ中学校出身、昔〇〇(空手、とか部活同じもの)をやっていたものが
同じなら、空手習っていた〇〇さん、同じ中学校の〇〇さんとか。
単独で〇〇さんより「〇〇の」〇〇さん。
その「〇〇の」でファンになったりもする。
子どもがいない人向けの活動をしていて
情報をたくさん集めていたので
その頃知ったことはかなり覚えていて
古田さんのファンではなかったけれど
古田さんが出るとノンファンと反射的に出てくる。
〇番、バッター、古田 と
アナウンスが放送されて
ノンファンだ、と必ず
セットで(”古田さんノンファンだ”)反射的に思う人って
4万人とかいる球場でも
私くらいかなあと
思ってしまった(いるかもしれないけれど。 ノンファン情報とセットで私、反射的に
出てきてしまうので)。
ノンファンの交流会や書籍など、活発に活動していた頃は必要なので情報をかき集めていた。
でも反射的に今こんな風に
ノンファンかどうかをセットで思うって
なんだか悲しいなぁと思うのでした。
だって、通常、多くの人、そこ(ノンファン)覚えているメインにならない。