神様の領域、という言い方をずいぶん前に聞いてとても印象に残ったのは
友達が交際相手の病気のことを言った時だったか。
病気になりたくてなりたくてなる人はいない。
(病気は神様の領域だから)仕方ない。本人は責められない。
というニュアンスで使ったんだと思う。
確かに病気は神様の領域。
具合が悪い方が誰かが親切にしてくれるという理由で
潜在意識では病気になっていたい、そして実際具合が悪いというケースもあるとは聞いたし
病気も不摂生で病気になりやすい体にしたら
神様の領域とは言えなくて自業自得と言われるだろう。
この神様の領域、
身体の健康や外見の良しあしも、そうかな。
自分では選べない。
生殖医療はそもそも神様の領域なのではないのか、違うのか。
時と場合や進化によって、人による線引きで
神様の領域の範囲が変わる可能性も大いにあるだろう。
美しいとか、かっこいい体形と思われる外見を生まれつき持つと
明らかに人生の歩み方が違う(美しいがゆえの悲劇はあるにしても)。
美しい外見の人生とその反対の人生で
生きやすく人からの賞賛を得られやすい、ひいては社会的成功をつかみやすいのは
圧倒的に前者の方だ。
でも美しく生まれるのは神様の領域ではないのか。
整形、自分で身体を鍛えるという後天的な努力で
何かしらの変化は起こせるだろうし
起こした人はたくさんいるし(ライ〇ップとか!?)
いい努力もあるだろうしそれが成長の手段にもなるだろうが
神様の領域に挑むにはお金も苦労も伴いがち。
もともとそうだったらいいなと思ってしまうだろう。
いわゆる頭脳や運動能力も努力で活躍する人もたくさんいるけれど
天才-生まれつきに持っている人は
もうレベルが違う。
天才が努力なんてしちゃったら、、、もうすごくてすごくて。
どういう人と出会うのも、時々神様の領域かなと思うこともある。
同じようにその場に出ていっても
いい縁を作る人と全くできない人もいる。
それは性格人柄だからだよ?
でもその性格になってしまった環境は?
どうしてその環境に生まれたの?
・・・・・・・・・・・・・・
とループに入ることもありまーす。
考えすぎはよくないね。
・・・・・・・・・・・・・・
最後にひとつだけ。
自分で問題や悩みを持った時
最近考えるのは、あ、これは神様の領域だ、と思えるものは
自分のコントロールが及ばないものだ、と納得できる。
そうすると自然とその問題や悩みに対するあれこれ考え過ぎが止まる。
かといってもちろん努力できるものはしていきたい。
なんだか、いつもより真面目調で書いてしまいました。
↑のひとりごとはあくまで個人の一意見です
^^;